令和1年7月 |
江戸川工場を開設する。 |
平成29年12月 |
経済産業省の「地域未来牽引企業」に選定される。 |
平成29年11月 |
横浜支店を神奈川県横浜市に移転する。 |
平成26年1月 |
宮城県仙台市に東北支店を開設する。 |
平成26年1月 |
子会社の株式会社山一コンクリートを合併し、生産本部(横浜工場・相模工場)として事業を開始する。 |
平成25年1月 |
栃木県南部生コンクリート協同組合の登録販売店となる。 |
平成24年10月 |
子会社の株式会社大和を合併する。 |
平成24年7月 |
千葉支店を千葉県千葉市に移転する。 |
平成22年4月 |
東京支店を再開発にともない東京都中央区に移転する。 |
平成20年3月 |
北関東支店を埼玉県さいたま市大宮区に移転する。 |
平成19年5月 |
資本金を5,000万円に増資する。 |
平成18年5月 |
埼玉県北部生コンクリート協同組合の登録販売店となる。 |
平成16年9月 |
三多摩生コンクリート協同組合の登録販売店となる。 |
平成16年8月 |
西東京生コンクリート卸協同組合に加盟する。 |
平成12年9月 |
干葉支店を千葉県浦安市に移転する。 |
平成9年2月 |
本部機構を東京都江戸川区に移設する。 |
平成6年9月 |
玉川生コンクリート協同組合、東関東生コン協同組合の登録販売店となる。 |
平成3年6月 |
東京都中央区に東京支店を開設する。 |
平成2年10月 |
千葉県干葉市に干葉営業所(現干葉支店)を開設する。 |
平成1年10月 |
特定建設業の認可取得する。千葉県知事認可(特-1)第27166号 |
平成1年6月 |
建築士事務所登録の認可取得する。千葉県知事登録第1-8906-2934号(令和3年12月廃業) |
昭和62年4月 |
埼玉県大宮市に埼玉営業所(現北関東支店)を開設する。 |
昭和61年9月 |
株式会社港北建材起業(株式会社山一コンクリート)に資本参加する。 |
昭和59年6月 |
小野田セメント株式会社(現太平洋セメント株式会社)の特約販売店となる。 |
昭和59年2月 |
代表取締役に柳内光子が就任する。 |
昭和58年6月 |
神奈川生コンクリート協同組合、湘南生コンクリート協同組合の登録販売店となる。 |
昭和58年3月 |
埼玉中央生コン協同組合の登録販売店となる。 |
昭和56年2月 |
神奈川県横浜市に横浜営業所(現横浜支店)を開設する。 |
昭和54年3月 |
資本金を3,000万円に増資する。 |
昭和52年9月 |
東京生コンクリート卸協同組合に加盟する。 |
昭和52年6月 |
東京生コンクリート協同組合(現東京地区生コンクリート協同組合)、干葉西部生コンクリート協同組合、干葉中央生コンクリート協同組合、千葉県北総生コンクリート協同組合、干葉北部生コンクリート協同組合の登録販売店となる。 |
昭和51年9月 |
代表取締役柳内俊勝が取締役会長に就任、代表取締役に柳内正基が就任する。 |
昭和50年10月 |
小野田セメント株式会社(現太平洋セメント株式会社)の限定販売店となる。従来の骨材、生コンクリート販売主体からセメント等の販売も加えた建設資材全般を取扱品目として建設資材総合商社となる。 |
昭和47年1月 |
資本金を1.000万円に増資する。 |
昭和46年10月 |
株式会社山一を商号変更し、山一興産株式会社に改め、本社を東京都江戸川区より千葉県浦安市に移転する。代表者を柳内俊勝とし本格的な生コンクリート販売を開始する。 |
昭和44年12月 |
江戸川、江東、干葉を中心に建設資材の商事会社として東京都江戸川区に資本金400万円で株式会社山一を設立する。 |